病院の理事長より命を受け、被災地へと救護活動へ赴くこととなりました。
東京都の永生病院等のグループと新横浜駅で合流することとなり、6時に名古屋を出発し、朝9時に待ち合わせ。 しかし、首都圏は計画停電により横浜線がストップし、朝から駅は大混乱。 迎えの救急車は町田からだったので、横浜線を使えない人が車で移動し大渋滞。待ち合わせ場所に現れたのは、11時。 新横浜駅のドラッグストア。カップ麺が売り切れ状態。朝9時だというのに、トイレットペーパーやハコティッシュを買って帰る人が目立ちました。 その後、首都高速に乗るが、三郷インター以降は。緊急車両以外は車両通行止め。警察の許可をとり、首都高→常磐道→東北道と、被災地へ向け北上する。 途中、帰りのガソリンは大丈夫なのか?という不安が頭をよぎるが、人助けが先に立ち、とにかく高速に乗る。すると、多くのサービスエリアが営業中で、緊急車両向けに開店しているらしかった。 自衛隊車や国営車両が次々と北上して行くのを確認できた。 当初は、福島県いわき市での活動予定だったが、2名をそこで降ろし、後のメンバー(10名)はなんと、気仙沼を目指すことに。永生病院の医師に気仙沼意気を告げられた時、ちょっとだけひるんだ覚えがある。だって、気仙沼と言えば、津波後に大規模な火災が起きた場所だ。きっと多くの避難民がいて、ひどい惨状であることだろう。 当日の夕方に、気仙沼市の隣り、一関市にあるホテルに到着。そこで帝京大学や都立病院のメンバーと合流。一応、「東京都医師会」のメンバーというくくりになった。 翌日の5時には気仙沼市へ向けて出発。 気仙沼へと近づくと、そこは、TVで観た災害の跡が広がっていた。 気仙沼市立病院へ到着し、玄関外でトリアージを行っている場面。この日は災害から4日目の3月15日。1日目、2日目に比べれば、格段に患者数が減っていた。 しかし、その一方で、市立病院の自家発電機が故障し、様々な機能がストップしてしまい、病院はパニック状態にあった。 病院までどうにか歩いてきてくれた患者さん達に薬が出せずに、「申し訳ありません」と頭を下げる事務の女性達。その後、現場の医師が東北電力と直接連絡を取り、夕方には復旧にこぎつけることができた。その医師は電力会社に、「患者を殺す気か!」と怒鳴ったという。良く頑張ってくれました。 DMATの活躍はひと段落し、この頃には救護班による避難所回りが必要になっている時だ。 ちなみに、気仙沼市はチリ地震後の大津波の体験から、防災意識が非常に高く、小中高等学校・役所・体育館等の殆どの公共機関が高台の上に立てられている。 それでも、300人以上の死亡者が出てしまったのだから、今回の津波の大きさがいかに異常であったかが伺える。 この気仙沼市の地図を頼りに、避難所に印をつけ、救急車両で手分けして巡回する。 この写真は、最初に行った気仙沼小学校OR気仙沼中学校。保健師さんから避難所の人達の健康状態について、情報を得る。ここはすでに、医師と看護師、保健師が巡回していて、重病者が出ると市立病院へ搬送というシステムが出来上がっていた。 ちなみに、写真右の眼鏡をかけた青年は東北大学病院の脳外科の医師で、気仙沼小・中・高校を卒業。故郷の被害を聞いていて、も経ってもいられず、教授に「行かせてください!」と頼み震災の2日後には現地にやってきた。教授も、「好きなだけいって来い!」と送り出してくれたとのこと。 彼のご両親は助かったが、実家は津波に流されてしまったと言う。 彼は、「僕は、市立病院の皆さんや外からの支援の皆さんが力を発揮できるように、生まれ育った町の道案内をするだけですから。」と言って、瓦礫で通行止めになってわかりにくい道の避難所までの道案内をしてくれました。 避難所の小学校に来ていた、自衛隊の給水車に並ぶ人たち。 次に向かった鹿折中学校。広い体育館にたった一つのストーブがあるだけ。床板から伝わる底冷えは、相当なものだった。 ここに入った医師・看護師は私達が初めてであった。体育館の中に入ると、お年寄りが数人集まってきて、「薬、持ってるか?」と聞いてきた。「私は高血圧で、だども、薬がみんな津波で流されてしまった。」と訴えるおばあさん。 血圧を測って、「今は高くないから、薬がなくても大丈夫ですよ。」と気休めを言ってあげるしかない。自分の無力感を痛感する時だ。 3名の外傷による感染症患者を見つけ、車に乗せて市立病院へ搬送することになった。 その3名を連れて車に乗り込もうとすると、別のおばあさんが近づいてきて、私に声をかけた。 「また明日も来てくれるか?」 胸が締め付けられた。この未曽有の大災害の中、被災に合った方々はどんなに医療者の支援を心待ちにしていることであろう。 涙を流しながら、「私達は来れるかわからないけれど、ちゃんとお医者さんや看護師さんが定期的にここに来れるようにしていくから、大丈夫だから。」と言って、おばあさんに返答する。 #
by kayo-1ppiki-neko
| 2011-03-21 17:31
| 独り言
ベランダのミモザが満開です。春の訪れを感じたのもつかの間、東北地方では、未曾有の大震災が起きました。 大雄会病院では、DMATが派遣されましたが、今回は被災地が遠方だったためか、明日には帰省するとのことでした。 毎日、TVの画面で被災地の状況や災害に合われた方々の様子を見ながら、我が事のように涙していました。私に何かできることはないだろうか…と、YAHOO募金に寄付することくらいしかないかな、なんて思っていたら、もしかしたら明日から被災地へ「心のケア」を目的として派遣されることに。 危険と隣り合わせの任務ですが、災害に合われた方々のお役にたてるなら、喜んで参加してこようと思います。頑張ってきます。 #
by kayo-1ppiki-neko
| 2011-03-13 14:09
| 独り言
春のような暖かさの土曜日、相方さんと岡崎市の岩津天満宮へ出かけて来ました。
岩津天満宮は、学問の神様で、今年、通信大学で学士取得を目指す私の卒業を祈願して、相方さんが企画してくれました。 しかも、季節は梅の見頃。白や桃色の梅が5分咲きといったところでしょうか、そこかしこで花を咲かせていました。 こんな鮮やかなピンク色の梅も。梅は、奈良時代に中国から平城京に伝わったものだとか。 でも、梅の雰囲気って、日本的なものを感じますね。 天満宮縁の菅原道真公が丑年生まれであったことから、牛をなでると願いがかなうそうな。 場内の片隅には、今話題の(?)トイレの神様が。右手に「手洗い」の文字が見えますか? お賽銭をあげて、「1年で卒業できますように」と願いを込めました。 この後は、スシローでランチタイム。二人で1400円なりでした♪ #
by kayo-1ppiki-neko
| 2011-02-27 20:18
| お出かけ
デールカーネギーの「人を動かす」です。1937年に初版が発行されると瞬く間にベストセラーとなり、累計で1,500万部を売り上げたそうです。
「人間関係の古典として、あらゆる自己啓発本の原点となったD・カーネギーの名著。常に机上において読み返す本として、本書は、社会人として持つべき心構えを興味深い実例をもって説得力豊かに説き明かして類書の追随を許さない。深い人間洞察とヒュウマニズムを根底に据えた感動の書。聖書につぐ世界的ロングセラー。」 実はこの本をいま読み返しています。 以前は、テクニック的に本書を参考にしていたのですが、2度目に目を通した今は、「そのとおり、わかるなあ」と共感しながら読んでいます。 読み進めると、新しい職場の人達の顔が眼に浮かんで、「ああ、先週頑張ってくれていたあの子に声をかけよう」「私と色々と話してくれたあの医師に感謝の気持ちを伝えよう」と自然と思えてくるから、不思議です。 #
by kayo-1ppiki-neko
| 2011-02-20 10:44
| 人生を変えてくれた本
相方さんと長浜市に行ってきました。
大河ドラマ「江」にちなんだ町おこし、「江・浅井三姉妹博覧会」の会場です。 博覧会と言っても、実際は、ゆうゆるの地域住民主催のお祭りです。 個人的には、「江」を毎週楽しんで観ていますので、「ああ、ここが姉川の戦いやらの場か~」と感慨深かったですが。最近、すっかり「歴女」と化してしまった私です。 長浜市の中心部を離れると、田園風景が広がり、心の落ち着く田舎風景でした。 お昼御飯は、郷土料理のお店、「翼果楼」(よかろう)です。TV(秘密のケンミンSHOW)の影響か、結構な行列の長さでした。 ケンミンSHOWで紹介された「サバ素麺」そして「サバ寿司」。サバ素麺の言われは、田植えの時期に、嫁いだ娘を思いやって実母が日持ちのするサバ寿司を差し入れする風習があったことからだそうです。 この素麺、サバと一緒に煮込んであります。私は、サバ素麺よりもサバ寿司のほうが好きでした。 昼食後に長浜市の繁華街を散策してたら、不思議なゾーンを発見。 奥へと進むと、手作りの「顔」を使った万華鏡を無料で見せてくれるオジさんを発見。 ちょっとピンぼけですが、私の相方さんの顔を初公開します。 ちなみに、長浜市は万華鏡の町として有名で、街のあちこちに万華鏡が設置してあり、散策途中で覗いて楽しんできました。 仏像掘りに興味を持っている相方さん、飾ってあったオジさんの手彫り仏像に興味しんしんです。 さらにあちこち回った後に、最後に長浜市民のソウルフード、「つるやパン」のお店へ。 本店て、こんなに小さな町のパン屋さんだったのですね。 お目当ては、そう、「サラダパン」を買いに。サラダパンとは、コッペパンに「マヨネーズで和えたたくわん(!)」を挟んであるパンで、最近TVで良く紹介されていますね。 さて、お味のほどは?おおっ、これが意外とイケる!おいしい!ああ、もう一個買っておけば良かった! ちなみに、パンが陳列されたこの写真はつるやパンの中ではなく、地元スーパー「平和堂」のパン売り場です。一角につるやパン専門のコーナーがありました。 相方さんと旅行に行くときは、必ず、地元スーパーに立ち寄ります。 地元ならではの特徴あるものが売ってあって、結構楽しめるのですよ。 サバ素麺も、平和堂で売ってました。長浜市の方々は、普通に食しているのですね。 グルメも街中も、田園風景もとても楽しめた長浜市でした。 #
by kayo-1ppiki-neko
| 2011-02-20 00:39
| 料理
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